思い出して、書き置いて見たいこと・・・。
☆エベレストの雲の上は青い空でした・・・。
☆ナイアガラはダイナマイトが鳴り響いているような轟音だった。
☆インドではみんなふにゃふにゃに柔らかくやさしかった。無条件に受け入れてくれる空気です。
・左はパトナ大通りの様子です。・右は踏み切りで、信号待ちしていた私達の車を覗きに来た
子供達です。この後、先生がムチを持って出て来て教室へ連れて行きました。そんなに珍しいか?って。今ではどちらも信じ難いけど、本当の事です。動物園の檻の中みたいに思えた。
この橋は、汽車と車と人とリヤカーと荷車とみんな一緒に渡ります。汽車も通る、これも本当です。
・ラジギールの温泉の風景と祇園精舎の鐘突きです。右は道端で食事の準備中です。
・マヤホテルの裏庭でちょっと触らせてもらった、日本での危険物。優雅な奥様の傍で・・・。
・階級で違う温泉の湯場。・通常の店の様子、ブダガヤ。・居るだけで何処からともなく集まって来た不思議な人達。バスが止まるまではひろ~い野原でした。これも本当の事です。
☆ニューヨークでは黒人のパフォーマンスがいっぱい弾け飛んでいた。黒人の生活力、何でも
やって見せて稼いでいる。
☆香港はキンキラキンで賑わしくて、、ジャキーチェンの世界だった。車の都合で、リムジンの
タクシーで香港の見物ドライブでした。派手さ加減を映画に思って・・・。
☆敦煌の砂漠にはロマンとメロデイが流れていた。静寂と砂丘の曲線ラインと童謡の影響です。
☆蘭州は霧に覆われた幽玄の思い出がある。海のような揚子江が霧に隠れてそこに遺跡や
船などが幻のように現れてきたのです。
☆ウルムチでは小林旭と宍戸錠の世界に出会いました。
戦後の昭和です。若者が野外で羊の焼肉をやり酒を飲んでお祭り騒ぎでした。
そのうちに、彼女をめぐって乱闘騒ぎになり、まるで映画の世界でした。
☆チベットは天に最も近く、雲は空を飛んでいました。雲は天井の高さの感じで流れも速いから
やはり飛んでいるがふさわしく、空気が澄んでいるから、やっぱり天上の国と言う感じでした。
只、チベットへ行くと立派なお坊さんが大勢いるかと期待していきましたが、ポタラ宮では、
主人が居ないような感覚で帰ってきました。
☆天池のカザフ族の人は素朴で純粋で良い人だった。天池に走る途中にあったパオに立ち寄っ
てちょっとお邪魔をしました。持っていたものを渡したら、すごく喜んでくれました。
池の畔を馬に乗って散歩しました。その時、言葉が解らないまま、OK~OK~って、どんどん
進んで奥地に行って食事まで頂いて来ました。少しでも売り上げが欲しかったかも知れません。
ところが、通訳で案内してくれていた、漢君と言う若者は予想外に遅いから心配していて、馬方
と大喧嘩を始めました。山の上からお巡りさんが降りて来て、真っ黒に日焼けしたカザフの男達
も集まってきて、チョットだけスリルでした。漢君が「喧嘩しても良いですか」って聞いたから、「何
でも良いから、思ったままやってくれ」って。でも旅は注意しないといけません・・・です。
みんな、純朴な良い人みたいでしたので、安易な事で悪かったと思っています。
山奥まで行ってしまったので大喧嘩になり、皆が集まって来た所、仲裁にお巡りさんも…。
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王様と皇帝と人民と職人と農民と奴隷と役人と大臣とその他、様々な人間とは?
◎中国の王様。
故宮。・・・広大な広場に厚さ1.5mの石が敷き詰められています。と言っていました。
それは地下からの侵入を防ぐためだと言ってました。信じれんけど・・・。
紫禁城。
・これで、ほんの一角です。
・素人の自分でも価値が測れないと思えた。
・北方の山から、氷を張って運んできたそうです。一枚岩の大理石。 ・右は戦争の時、連合
軍が金を削り取った戦の傷跡で重さは2㎏あったそうです。いずれにしても権力と戦と略奪の
世界です。
・強大な皇帝の国だから、奴隷たる人民は、生き抜く智慧と力をつけるのだと思った。
広~い天壇公園では夜明けと共に無数の健康方法が隅々まで実践されていました。
様々な気合や掛け声で活気に溢れていました。人間は厳しい程に強くなるのだと改めて思っ
た事でした。市民の健康法・・・輪投げ体操。 ・瞑想・呼吸法・太極拳・気功・武術・棒術・
格闘技・剣術・その他笑って歩くなど一杯ありました。
☆北京の市民は権力者にとっては只の家畜…あの時はそんな実感がした。
簡単に使い切って、平気で踏み潰す、現に人ごみがいっぱいの大通りを、先導の白バイ
がサイレンを鳴らして100キロ以上のスピードで走り抜けて行くと広い道路の真ん中がサッと
広くなったら、まもなく高級車が数台猛スピードでアッと言う間に走り抜けて行った。
25年前の天安門事件の傷跡も残っていた頃の目の前で起きた事でした。
紫禁城の博物館の中にも人間をオモチャにした歴史の跡がたくさん残っています。
天安門事件は1989年6月4日です。2年後の1991年に現場に立って、広大な広場に
集まっていた学生が戦車に轢き殺されていた、そのテレビで見た現実を実感しました。
故宮の広大な広場は地下から攻めて来る敵を怖れて、厚さが1.5メートルもある石が敷き
詰められていました。万里の長城では一個数十キロもありそうなレンガを使って山の彼方ま
で要塞が築いてありました。これも強大な権力者が敵を怖れてやらせた事です。
世界残酷物語りの記録です。今も昔も同じ事が起きています。これがこの世の人間と言う
ものかも知れません。解釈・理解・選択はそれぞれですが、今もこれからも歴史は変ります。
人間とは何か?。生命とは何か?。人生とは何か?。智慧をしぼってまともを目指します。
◎インドの王様。
☆インドの宮殿・タジマハール。総大理石白亜の宮殿。
・斜めが技術の見せ所。・王様とお妃の大理石の棺。
・アグラの宮殿。
・中国の紫禁城と見比べたりしてます。
・王様の側室の部屋です。 ・一個の岩から造ったお風呂。
・下の穴は象やライオンの出入り口。奴隷と猛獣を戦わせたところ。・・・映画で観た。
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・コーチャンの家族。大学を出て通訳をしている彼に自宅まで連れて行って貰いました。
真夜中でしたが、寝ていた家族が起きて、母親が食事を作ってくれました。
優しいお父さんとまだ可愛い姿の妹さんです。下が自宅です。
居間も寝室も一緒の2間に家族5人が寝ていました。そこにそこにコーチャンと私が真夜中に
帰宅しました。仕事の合間を見て帰宅した息子を迎える両親と妹の家族の対応は私の少年
時代を思い起こしました。寝ていた所に他人まで連れてきた息子に、すぐに起きてカレーライス
を作って食べさせてくれました。妹達はお兄ちゃんが連れてきた日本人にニコニコしながら相手を
してくれました。それは、自分の家を出て社会に勤め始めた頃、自分の家には無条件で帰る
事ができた自分の時代を再現してくれました。田舎が恋しい恋しい時でした。
優しさの塊のようなご両親が深く印象的でした。
朝、外に出てみたらこれが中流の住宅街でした。
・インドの自然体・・・。
・サールナートの博物館の壁画。・ナーランダ大学の遺跡。発掘は手作業で丁寧に
やっていました。アショーカ王とかナーランダ大学とか、大きな遺跡がありました。
・普通の住居。 ・よくある道路の料金所。ゲートのシステムがおもしろい。
・何処に行っても人懐っこい人達。インドでは特に、老人の表情がに味がある。
・自然体・・・牛の埋葬は皮を剥いでハゲタカにお任せ・人間の火葬は川原で・・・。
・右の写真の手前に点々としているのは人の糞です。わき見してると踏みつけそうなくらい一杯
在りました。数日前に、亡命中のダライラマに会うためにこの河川敷一杯にチベットからの人が集まって来たそうです。目の前でも長いスカートのまま、サッと済ませて去って行きました。
・巡礼のチベットの人、ラジギール。その祈りの場の石・ストーパー。
・私はお釈迦様の説教された場所で瞑想。・階級別になっている温泉がごく自然。
・日本で言う乞食ですが、普通に与えて貰えるのを待っている雰囲気です。
・チベットのお坊さんは至る所でお経を読んでいます。チベットに行ってみたくなったのは
この二人に出会ったからです。そして5年後に行きました。
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2016・2・3(水)のニュース。
☆私が願望する事は何時までも元気で居られる事です。
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