Home4.社長の話題1.考え方・気持ち › ブログの歴史、そのⅨ。旅立つ頃・再生へ。

ブログの歴史、そのⅨ。旅立つ頃・再生へ。

★育ち・2013.9/13。

★中学2年の時、伊勢湾台風がありました。すぐ後に室戸台風が在ったと思います。

山奥の村でも大洪水で材木やら泥水が、川の瀬や淵を埋めてしまって、それまでの川の

魅力は終わりました。電化生活、車社会、土木の改良(?)工事、テストと成績第一

の教育、自由と平等と権利を主張する戦後の思想、それまでの習慣を古い=不要の様な

常識化。回りの自然も、人も、生活形態も、急に変化を始めました。私の一つ上の年代と

下の年代、もう一つ下の年代、と、どんどん違っていく事を当時でも実感していました。

おふくろはスカートが少し短いだけで、「見苦しい、みっともない。」って、ぼやいていました。

その頃から思えば、今は想像を絶する恐ろしさと絶望感になります。軟弱、身勝手、幼稚、

軽薄そんな気がします。もちろん逆の魅力もありますが嘆く部分を強調するとそんなとこです。

 

★兄達は中学卒業して就職しました。私から高校に進みました。時代の変化です。

目的も無く普通科の加納高校に行きました。最初の半年は真面目に勉強したのでビリから

入学しても、最初の実力テストでは上位45番になりました。一年生は400人でした。

ちなみに中学の時は先生3人の分校でした。問題集一本槍のほぼ独学で入学したのです。

そして、その後、殆ど勉強しなくなり、卒業まで右肩下がりのままで、3年間を過しました。

IMG_0001IMG_0001

 

★さて卒業です。就職クラスは男子10人と短大女子他はみんな大学です。私はこれ以上机に

座る事はガマンがなりませんでした。就職の紹介も銀行か証券会社です。仕方が無いから

銀行でも受けようかと思って、母親に報告したら、「なんや、そんなとこか。」って言うから、

すぐ止めて、一番ボロい車の板金工場に見習いに入りました。動機は働いてみないと解から

ないし、車に触れる事、一か八かで一番ボロい工場でした。その頃の初任給が一万八千円~

二万四千円でした。私は最初は想定外の九千円、就業時間無制限、休日は月二日だけ。

ボーナスも無し、それでも仕事が面白いから二年間程はバリバリやりました。そのうちに、

不平不満が湧いてきて、悶々とした日々を過しました。たぶん人生で一番苦しかったと

思っています。若さ故に、初めての試練だからです。その期間を妥協せずにやり切った時は

自分に自信がついた事を感じました。それまでは毎日空が灰色の気持ちでした。それは

二十歳前後の正味二年間の事でした。今なら説明できる、自分の業との最初の大きな戦い

でしたがある時空がパッと晴れたみたいでした。そこまでやり切って自信がついた事でそのまま

頑張って仕事を続けました。

 

★成人期・2013・9/14.

S・39・4。高校卒業・板金見習い就職。・・・動きたいばっかしの時。

S・45・4。自営業・開始。・・・他人に指図されたくない、自分本位で何でもやりたい時。

IMGIMG_0001IMG_0001

独立は勇気の要る決断でしたが、自分が世間並みなら出来るだろう、と言い聞かせて、

S・46・7。コーレック導入。当時県内3台目の最新設備、欲しい物は迷わず買う、親父にそっくり。

S・47・9。空手入門。自分の時間が仕事100㌫から、やっとコントロールできるようになり、趣味と           

言うか、運動ができるようになりました。子供も出来ました。

IMGIMG_0001IMG_0002IMG

            それからしばらくは、磯釣り、マージャン、空手、漬けになりました。

 

S・59・。心の時代と言われだした頃。仕事にも慣れて、目標が持てなくなっていました。

         悩み多かりし、若き時代を懐かしんだりしていた頃。セミナーに行くようになりました。

         やりかけると、とことんやる、の性格がこの世の運の尽きとなりました。

         セミナーは心を開放する、観念を打ち破る、気づきを重ねる。・・・正解ですがかなり冒険。

1986年1月 インド旅行・・・目的は見聞を深める。冒険する事で心を開放する。

IMG_0013IMG_0013

          6月  アメリカ・ニューヨーク。インドと対象の国です。勢いのあるうちのチャンスでした。

IMG_0013IMG_0013

  見聞・理解を深めるための同じ目的。・・・自分は今のうちにと思って頑張り

  ましたが、さすがに、遊び過ぎって、兄と社員には愛想を尽かされました。

 

1987・10。 長屋自動車板金工場を(有)ナガヤに変えました。板金屋だけは脱却した

               かった、だけどその先はイメージできない。そこまでの社名です。

               何かを求めて、右往左往が数年月過ぎました。そして来ました転換期。

1987年。S・63年10月20日午後の昼下がり。工場の仕事は満杯。次々仕上げては

              「職人冥利に尽きるなあー」と声を掛けて、仕事に取り掛かった時、バネの

              効いたヒンジを止めたワイヤーを緩めたつもり、バネが強くていきなりハネて、左眼 を

              直撃して、そこはもう麻痺してひっくり返った感覚だけになりました。「しまった!」

              「親に申し訳ない。」「眼は潰れたかもしれない。」「その時は、柳生十兵衛

              か独眼流正宗の様な眼帯しようかな」「そのまま空手やったら面白そう」とか、

               そんな連想もしたりして、目医者に行きました。目医者は見るなりびっくりして、

               救急車を呼ぶと言いましたが、タクシーで大学病院に行き手術をしました。

 

   この数年自分を越える事に焦りを感じていましたので、「来た!」って、直感も

               ありました。その後の入院生活は目の傷跡の痛さを避けるため、ひたすら五感

               に障らない事に集中していました。それはひたすらに瞑想していたと思ってい

               ます。                                           (左眼球破裂のケガの時の事)

 

1988年。S・64年1月6日 傷跡回復確保の為の再入院。

                             7日 昭和天皇崩御。小渕総理の平成年号の発表。

                      この時の入院はゲガ人と言うより、道を見つけるために、計らいを受けた

                      気がしています。その時の状態は求道者そのもので、様々の感覚を

                      味わいました。退院したのが2月の16日。42歳の誕生日でした。

 

ちなみに・・・私は無くさない様に少し高価な腕時計を持っていましたが、退院の時紛失

しました。それ以来腕時計はしていません。目覚まし時計も使いません。それは自分自身を

信じて生きる挑戦、冒険、試しです。要するに必要な事は自分に言い聞かせます。

それから数年、神とは?、愛とは?、光りとは?、生命とは?の日々が続きました。

 

1991年休業に入る。

世間一般は安定、安全を望んで疑いません。私は違います。第一に家族全員に自立自覚

を望みます。家族に不安定を与えます。厳しさも与えます。しかし未だその事の理解はゼロで

した。私は何でも100㌫打ち込む事を望む性格です。仕事も迷わず打ち込んでやりたい

のです。自分の仕事にもこのままでは打ち込み切れないない矛盾が見えてきました。

 

★修理をする程に有毒ガスを発生させるゴミが出ること。

★道路をいくら作っても、それ以上に車を作れば渋滞は収まらない。その経済の仕組み。

★会社の拡大を進める事が正しいとか良しとする時、国土の限界が矛盾になります。

★ガソリンと電気に支配されている状態で、更に安全が不安定な原子力に頼る状態の

   社会に不信を抱き、この事を無視してまでも頑張る必要があるかどうか考えました。

私は仕事をやる面白さ、楽しさ、商売を競うゲームにやり甲斐を持ってきました。此処で

生活を守る為に仕事を続ける必要はありません。生活のためなら改めて、技術と根性で又

競争すれば良い事です。又、人間は空気が在ってこその存在ですから、空気の為に時間と

金を使って、生涯の後悔にならない様にしよう。・・・と、当時は考えました。持ち金が無くなる

まで休業する事に決めました。そうして、日常の経費の掛からないように整理して、その他

現金を作って妻に渡しました。「借金してまでやる仕事ではないから、この金が無くなる前に

報告をしてくれ。その時商売に戻るから」って、言い渡しました。

この事は非常識ですから口外するのは始めてかも知れません。そんな訳で休業です。]

 

1991年中国・チベット・ネパール・香港。に行きました。インド・アメリカに行った後、そのうち

アジアも行くべきだと思っていましたので、絶好のチャンスです。前回までは体験目的とは言え

自分だけでしたので、この時は妻も一緒に行きました。その時の言葉が「もう自立せんと

いかんわな。」でした。精神的の意味でした。大阪→北京→ウルムチ→敦煌→蘭州→西安

→成都→チベット→ネパール→香港→大阪。このコースを独自に作って計画しました。

IMG_0016IMG_0017

天空のお城・ポタラ宮とガンジスの源流。天山山脈の近く、山上の湖・天池。と敦煌の町。

.

それぞれの空港で、タクシーと通訳とドライバーが待機していて、3日~1週間サイクルで観光

などをして回りました。ネパールでは仙人らしき人を探し出してもらって会って来ました。

香港では車の都合で、ベンツのリムジンに乗って、各地を回る事も出来ました。

二度とできない、お値打ちで豪華な旅行を体験しました。この後に起きる大試練の前に

神様が御褒美をくれた気がしています。ネパールでは苦難の予告を受けました。Ⅲ・につづく。

IMG_0014IMG_0015

万里の長城とラサの町。                          富士山頂と火口と気象台。

 

///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

★11・レポート・Ⅲ・再生期。 2013年9月14日

アジア旅行から帰って、環境問題そのたに金と時間を使いました。結論を言うと、今にして

思えば、人間の考える事ややる事で、素直に信頼、同調できる事は何もありません。

欲望・理屈・空想・妄想・無責任・・・結局、自分の努力で積み上げた分しか本当の

事は見えて来ません。金や理想や綺麗事に頼ってもどうでもいいものしかありません。

そうこうしているうちに、結果的に自分の仕事場以外、全て失いました。

結果は想像を越えた、自分の予想外の状態ですが、「仕事だけはやるぞ」と言う、内面の

意思だけは守られた様です。本当に何もかも剥ぎ取られた、因幡の白兎の心境でした。

それから一ヶ月、工場と住家の内外を掃除しながら、その後の心構えとやる事を吟味しました。

 

そして、決めた事。

・仕事は人生に必要な事として、理屈を言わずにやる事。

そうして、過去を引かず、新しく、(有)ナガヤが再稼動始めました。

持ち金は100万、50万が運転資金、50万が予備資金。立ち上げは経験済みです。

その時、神様が連れてきた如くに居てくれる者が、今、貴重で在り難い大黒柱になっています。

新鮮で遣り甲斐のある、再出発は結構楽しくやって来ました。

 

995年一月 神戸地震。人工の危機を知る。

1997年11月 ロシア・モスクワ経由カザンに行き視野が広がる。浅井師範等と。

2000年5月      屋久島で縄文杉に会う。大野さんと一緒に。

2006年12月 ハバロフスクで空手指導の体験をして自信が出来た。田中師範の指導で。

2009年7月 熊野古道。有里と一緒に。

2011年 4月 ロシア・リュベルツィ・空手遠征は完全に楽しむ事が出来る様になりました。

IMG_0010

2011年7月 フランスに行きました。今や私は国際人です。(ワル乗りです。)

IMG_0012IMG_0012

2013年9月 空手の時の腰の使い方を体得して、またしても燃えています。(強がりです。)

 

・12・写真・ネパール、中国、チベット。

・カトマンズの郊外に向かいます。笑えない、ネパールの写真。 手作業です。

IMG_0008IMG_thumb199IMG_0008_thumb3

・火曜日と土曜日の行事。手に持っているのは生きたままの食用の家畜。

IMG_0007IMG_0007IMG_0006IMG_0007

IMG_0008IMG_0004IMG_0004

IMG_0004IMG_0004IMG_0006

IMG_0008IMG_0008IMG_0003

IMG_0002IMG_0006_thumb37IMG_0007IMG_0006IMG_0007_thumb16

・チベットから難民のような形で来て、働いています。織物工場です。

IMG_0004_thumb46IMG_0004

・形の出来た、ろうを土で固めます。   ろうを溶かし出して、鋳物を流し込みます。

IMG_0005_thumb34IMG_0004

中国では夜明け前から門の開くのを待っています。そして広い天壇公園一杯に、

様々な健康法や武術などが繰り広げられ、圧巻です。すごい技術がふんだんに見られます。

年寄りが言うには、家では若いのが寝ているから年寄りは気を使って、早くから此処に来る。って、

この人、達人。おばあさんの背中が目の前で伸びた。

この人とは、太極拳。・・・この人は気功の名人!?。

IMG_0018_thumb1IMG_0001_thumb136

ウルムチから天池へ

IMGIMGIMGIMG

IMG_0001IMG_0001IMG_0001IMG_0001

山上の天池の部落はこの道だけ。

IMG_0004IMG_0001

山の上に在りながら、水深150メートル。

IMG_0004IMG_0002

僻地だから、人恋しい。現金収入は貴重。

IMG_0002IMG_0002

田舎の人。サービス過剰で山の奥まで連れて行ってしまいました。旅行社の

漢君は正義感の強い元気な若者です。行方が判らなくなってしまった私達を

心配してヤキモキしていました。2時間も馬に乗って遠出したのです。

そこで、大喧嘩になって、おまわりさんもヤジ馬もいっぱい集まりました。

反省

言葉の判らないまま、なんでもOKをしていたら、大きな湖の奥地まで行き、そこの

食事も食べさせてくれました。なんと豪華な遊覧だと思っていました。お金を稼ぎたかった

のです。自分にすれば千円未満の小銭ですからずいぶんお得な遊びをしましたが、

今後の旅行者の事も考えて、漢君に「思い切り好きにやってくれ」って言いました。

彼らは声が大きいし、日焼けして色が黒い、それに馬に乗った仲間がいっぱいいます。

それに、左側の山の上から、昔風のお巡りさんも降りて来て、大騒ぎになってスリル

満点でした。ここはウルムチから天山山脈の麓に足を伸ばして、1500メートルほど

高い所に上った所です。次の敦煌に行くために急いで走りました。

余談・・・漢君は「中国の女性はやさしくないから嫌いだ。」って。

自分も汽車の中では実感しました。(その頃の時代の比較です。)

それにしても・・・生活の為に苦労して働いて、格差の違いでこんな事になって

気の毒に思いました。

警告・・・今から振り返ると、自分がこのまま行方不明になって消えていても

         おかしくない事でした。気をつけましょう。

IMG_0002

ここはチベット、ポタラ宮。屋上には中国軍兵士がたくさん監視しています。

IMG_0003IMG_0003

IMG_0002IMG_0002

IMG_0003IMG_0003

闘鶏の見世物。・・・・・・・・・・・・・・・・・祈り続ける人。

IMG_0003IMG_0003

標高四千mの天空の都市ですが、ラサの入り口の道路や山の上、

建物の屋上は兵士がいます。建物の二階は軍隊の宿舎です。監視された町。

IMG_0009IMG_0009

これがレストランです。            宮殿を修復する、若き大工さん達です。

IMG_0009IMG_0009

IMG_0002IMG_0002

Comments are closed.